2012年 01月 17日
その5 越後玉サバと玉サバ |
越後玉サバと玉サバ
越後玉サバと玉サバ
すなわち越後玉サバと変わり玉サバ
本隊を立ち上げて10年となり
たくさんの方々とめぐり会い
同時にすばらしい玉サバたちにもたくさん会うことができました。
当地では「クズ」と評され
新潟県人でさえ知らなかった玉サバですが
現在はたくさんの方々にかわいがってもらい
うれしい限りであります。
本隊は越後在住ではなく、遠方に位置しておりまして
時間も距離も越後入りは容易でない状況にありますが
だからこそ真剣に情報を収集し、観察してきたつもりです。
その上で
地金魚としての玉サバを
越後玉サバ
として
本来の姿を鑑み
玉サバとしての将来を見つめてみましょう。
越後玉サバ
2003年ころだったと思いますが関東方面に
「いちご玉サバ」と云う名前で正体不明の玉サバ情報が流れました。
当時、山形遊佐の阿部養魚場玉錦による
真紅な色合いに感動して日が浅く、
なんとか実物を見てみたいとアンテナをUPしておりましたが
その後の情報を手に入れることはできませんでした。
それでも気持ちは募るばかりでして
やむなく山長養鯉場さんに照会した結果、なんと!
「うちから出した玉サバです」
・・・とのこと。
つまり
越後のブランド金魚として
越後玉サバの名で流通させた
とのこと。
それが、どうやら訛って いちご玉サバ
・・・くぅっ な、なるほどね
以来、本隊でも事あるごとに
「越後玉サバ」
と冠を付して呼んできましたが
今では
越後の地金魚と云えば越後玉サバ
と云われるほどの知名に至っています。
地金魚とは
ここで今一度
地金魚と云うことについて説明させていただくと
地金魚とは
その生誕地の土地柄や文化とともに
固有に伝承され受け継がれてきた金魚
のことを云います。
三大地金魚と呼ばれる
土佐金、南京、そして当地の地金は
天然記念物に指定されていますが
それらは希少性からではなく
伝承されてきた記録が残るとともに
保存会等がその資質を保持し未来につなげ活躍をしていること。
その上で特異な資質とともに
飼育方法や調色技術に
文化的価値
があるとみなされ
優良魚が天然記念物の指定を受けているものです。
金魚伝来以来
本邦では
「金魚を愛でる」
と云うこと自体が文化として受け継がれ
それは平和な世情のシンボルとして
現代でも息づいているところですが
地金魚は
伝承されてきた姿を継承すること自体が
貴重な文化遺産
と云えるのです。
だから
需要があるからと云って
姿や資質を変えるものではありません!
さて
ここでくれぐれも誤解しないでいただきたいのは
本隊は改良を否定しているのではありません。
自身の指向性を鼓舞するために
偏向して曲解する方が未だにいますが、非常に残念。
理解力を少しだけ深めて
人気や市場性に左右されずよくよく把握していただきたいのは
短尾も透明鱗も
近年の人気により普及する
「新しい玉サバ」
であるということです。
人気のある特徴を
昔からの継承であると肩書きすることはかっこいいし、
自身の指向性にも大いにプラスになるでしょう。
しかし、短尾の越後玉サバなど見たことがありません。
少なくとも
現在も本隊がお付き合いいただいている玉サバ職人のもとでは
目にすることができないのです。
金子養鯉場さんで透明鱗が生産されていますが
2002年の時点では池上げ当才数千尾の中
たった2尾の透明鱗を確認したのみであり
同時期のアズマニシキ交配や
その後の累代選別が
現状の優良玉サバに結びついているものと解釈できます。
2002年金子養鯉場産当時は貴重な透明鱗でした(2003年撮影)
すると
何十年も前の他種交配の話や
「昔からいたという話を聞いた」
というピンポイントな意見が出てくるのですが
この場合、こうした情報を現行表現型に直結させるのは
期待可能性を大いに含めた願望を根拠としていて
客観性を持たせるには無理があると思われます。
したがって
情報の背景を
金魚産地に住む立場から傍観して分析、考察してみると
まず
金魚史から玉サバの来歴を見つめるべきなのですが
越後の金魚は
「最初にサバ尾・玉サバありき」・・・ではありません。
玉サバの取材を続けていると
ときに
「在来」とか「在来種」
と呼ばれる金魚が登場しますが
これらは山形県でも同様に呼ばれており
ワキン
を指すものです。
越後でも他の地域と同じく
最初の普及はワキンであり
興味が深まったところでリュウキン
獅子頭などとつながったと思います。
そして
サバ尾が登場する以前は
越冬後、生存の可能性を考えると
リュウキン、獅子頭よりもやはり
ワキンが主力であったはずです。
しかし、隣県山形で
庄内金魚が完成すると
尾の短いワキンよりも
見応えのある吹流し尾が流行り、
もてはやされるうちに
「寒さに強い」
と云う資質を取り入れて
サバ尾が誕生
ワキンと主役を交代して広く越後に普及、
玉サバへとつながっていったと考えられます。
このワキンからサバ尾への過渡期
尾の短い・・・
つまりワキンが存在した可能性は十分認められると思いますが
サバ尾が時代を席巻するとともに
衰退消滅したことは
金魚と云えばサバ尾
と云う越後の金魚現状を視れば間違いないでしょう。
ですから
「昔いた短尾」というのは
ワキン、もしくはワキン型の残存であった可能性が
多いに認められるのです。
残念ながら本隊の取材では古老から「昔いた短尾」説は聞いたことはありません。
もちろん、「昔いた短尾」を表現する玉サバを目にしたこともありません。
こうして来歴や培われた背景を総合し
考え、見つめ直すと
地金魚としての越後玉サバ
にとって
外観特徴は
吹流し尾であること
そして
梶尾は1枚であること
が大切な資質であると云えるのです。
by tamakin-ojisan
| 2012-01-17 13:03
| 玉サバ史